6歳だよ

02/06/2017 § 1件のコメント

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生後7ヶ月で我が家にやってきた、ブロッサムさん、昨日6歳になりました。

膵炎や、色々あるけれど、長生きできないかもしれないけど、精一杯一緒に楽しく生きていこうぜー!

ロンドンは季節が進んで、初夏。バターカップ、日本名、キンポウゲの花が、盛りになってきました。黄色い小さい花、開花すると茎がぐんぐん伸びてきます。この花が終わると短いけれど、本格的な夏がやってきます。

 

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04/04/2017 § コメントする

ロンドンに引っ越して、本当に良かった、と思うのは、庭が持てたこと。写真は今咲いている花の一部です。

春になって、庭に花が咲き始め、リスが走り回り、鳥がうるさいくらいやってきて、狐も横切って歩き、犬が、走り回れる。こんなに気持ちを落ち着かせれくれるスペースを持つことができるのは本当にラッキーです。

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週末、家族総出で大掃除をしました。庭のシェド(道具小屋)も整理整頓。

そうそう、イギリスでは、大掃除は、春にするものです。不要物を車に満載して、持って行ったエリアのリサイクルセンターは、朝から渋滞しておりました(笑)イースターの前に、大掃除。皆同じなのかもですね。

夏時間も始まり、夕方7時半近くまで明るくなりました。穏やかに暮らしています。

春なのに

27/03/2017 § 6件のコメント

ずっと更新が滞ってしまいました。

春が来て、そこかしこに水仙が咲き、目がさめるような柳の新緑に見惚れて、庭のチューリップまで、色づいて来て、ロンドンでは、テロも起きたりして、でも、毎日、変わらず過ごして、普通のふりをして暮らしています。それなのに、どうも自分の気持ちが落ち着かず、地面に足がつかず、どうも、ふわふわ。

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父が、いなくなってしまったことが、心の奥の側面に、頑固な鍋の焦げ付きのように張り付き、自分自身で、戸惑っています。

亡くした直後より、今の方が、キツイ気が。

桜を見て、杖をついた人を見て、落花生を食べて、いちごの、あまおうのニュースを見て、その度に、もう2度と、父はこの花や、大好物をたべられないのだな、最後に食べたがったのは、あまおう、だったなぁ、などと考えてしまい。。

先週、父が生前、公証役場に預けてあった、遺言書が開示されました。

内容はすでに本人から、口頭で、とりあえず、全部、ママにゆずるからな〜、と、聞いておりました。が、国際郵便で、コピーが、執行人から送られて来ました。

遺言の本文の後に、(付言事項)というコラムがありました。

そこには、

「私は、妻と永年苦楽を共にし、幸福な家庭を築いてこれたことを大変誇りに思っています。子供達も立派に成長し、それぞれの家庭を築き上げてくれたうえ、可愛い孫たちにも恵まれ、実に充実した人生でした。私は人生を共に歩み、私が倒れた後も懸命に世話をしてくれた妻の生活を第一に考え全財産を妻に全て相続させることにしました。妻のおかげで本当にいい人生だったことを心から感謝しています。共に生活している長男には、、いつまでもお母さんが心安らかに生活できる様お願いします。(弟)も、(私)も、私の自慢の子供達です。それぞれが、それぞれの立場や環境の中で堂々と人生を歩んでいけると信じています。これからもお母さんの面倒をよく見、自分たちの生活もしっかり築き上げながら幸せな人生を送ってください。 以上 」

人生の最後に。母への大ラブレター+私たちへの応援ですね。これには、ちょっとやられたな。

父は、尊厳死にも、自筆の捺印された書面を残していました。病気その他、回復の見込みがないと判断された場合は、延命処置等、することなく永眠させる様に申し渡します。と書いていました。

そう書かれていて、頭でわかっていて、結果的に希望どうりになった、と言えるけれども、残されたものは、どうあっても、たら、ればと、悶々とするのでしょう。

今日、毎週月曜の脳卒中の患者さんのための、犬を使ったリハビリのボランティアに、ぶうちゃんと出かけ、新しくいらした患者さんにお会いしました。その方の後遺症は、父の脳梗塞の後遺症と、とても似た症状で、左足を引きずって、左手を庇いながら歩く姿が重なり、本当にセッションの途中で、突然、思わず、スイッチが入ってしまい、危うく泣き出しそうになり、トイレに逃げ込んだのでした。

俺は、今年いっぱいの命だ、と自分で言っていて、その予想は大当たりでしたが、昨年11月、大好きな相撲を見て、(それ以降、大好きなテレビも見る体力もなくなった)「稀勢の里は、きっと横綱にはなれないな〜」という予想は、大外れでしたよ。

さっき、ニュースで、相撲の結果を見て、またまた、スイッチが。。

2匹のワンズ、ピップとブロッサムによく、父の話を聞いてもらっています。

二人とも、じーっと話を聞いてくれて、たまに、ぺろっと舐めてくれます。

本当に、ありがたい。

悲しみのスイッチに触れないように注意しつつ、ふわふわしながら、日々暮らしていても、私には、忘れずに、花粉症がやってきました。

さて、顔あげて、元気だそう! 私!

 

 

うさこちゃんとミッフィー

21/02/2017 § 6件のコメント

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我が家にある、この貯金箱。後ろに、ASAHI BANKと書いてあります。

ロンドンに引っ越してくるとき、持ってきたのでしょうね。調べるとあさひ銀行も、今はもう存在しないのですね。ずいぶん前に日本を出てしまったので、銀行の名前など、何が何だかさっぱりわからなくなっています。

この貯金箱、ロンドンでも、結構、活躍したのですよ。
No1こと、長女が大学生になって家を出たとき、寮の洗濯機を使うには、使用料を20ペンス硬貨を機会に投入しないといけなくて、大量の硬貨が必要となり、ママも集めて〜と頼まれ、せっせと買い物のたびにこの貯金箱に入れて、帰ってくるたびに渡したものです。

日本にくる前、No2が、まだ3歳か、4歳だった頃、家にあった、ブルーナの絵本(タイトルはどうしても思い出せません)を読んであげたときの話。

ミッフィーちゃんのお父さんとお母さんが出てくるお話で、確か、スーツのような服を着たお父さんが出てきます。

「お父さんはどこへ行くのかなあ?」

と私が尋ねると、「かいしゃ」と答える息子。

次のページは、大きめの一連のネックレスをつけた、ミッフィーちゃんのお母さんが、腕にハンドバッグを持っている絵があり、あまり考えずに、同じ質問をした私に、息子は、再び、

「かいしゃ」と、何の迷いもなく、即座に答えたのでした。

当時、確かに私は、フルタイムで、忙しく働いていました。息子にとってのお母さんは、例外なく毎日仕事に行くのですから当たり前といえば、当たり前。幼い子を持ちながらも、働きつづけることに、信念を持っていたつもりでしたが、この、何気ない会話で、お母さんは、かいしゃ。と悩むこともなく即答した息子を見て、なぜか、いたたまれない気持ちになったものでした。こんなに時間が経った今でも、そのときの気持ちは忘れられません。そこには、いつも時間がなくのんびり接してあげるゆとりが無い事を自分を、少し負い目に感じていたからなのでしょう。

そして、ほんのつい先日、バレンタインデーに、オットとコンサートに出かけた、ロイヤルフェスティバルホールの一角に、ミッフィーのお店が特設されてました。あの、赤、青、緑と✖︎の形の口。キャラクターグッズや本が、売られていました。そうそう、イギリスでは、ミッフィーは日本ほど皆に、知られていないのですよ。児童書の棚にも、あまり見かけません。

オットと、珍しいね、懐かしいね、久しぶりにミッフィーを見たね、などと話をした、ほんの数日後に、作者、ブルーナ氏の訃報が流れてきました。

ミッフィーがまだ、うさこちゃんだった頃、その昔、茅ヶ崎の海辺に住んでいた時、大好きだった「うさこちゃんとうみ」というタイトルのあの、四角い絵本。なんども、なんども読んでもらった記憶があります。この本の表紙の、うさこちゃん(まだミッフィーではなかった)の水着姿は、海水パンツのみで、幼心に、女の子なのに、どうして海水パンツだけなのかなあ?と不思議に思っていた自分を鮮明に覚えています。そして、海でたっぷり遊んだ後、木でできていると思える、四角張った、運搬車に乗せてもらって自分で歩かずに帰ってこられるのは、うらやましいなあ、と思ったこと、などが記憶のそこから蘇りました。そういえば、女の子だと信じていた私ですが、ミッフィーは本当は男の子なのだろうか?女の子なのだろうか?

そして、あの三角の海水パンツは、今日、2回目の月命日の父が、当時、海に行くときに履いていたものに似ているなあ。と。

オランダで生まれた、うさこちゃんも、ミッフィーちゃんも、そして、作者のディック ブルーナさんも、こんな風に、世界の人が、愛してくれて、共に育って来た事をご存知だったのでしょうか?

ブルーナさんの、ご冥福を心から、お祈りいたします。

******* 我が家の2匹のワンズは、とっても元気です。

ぜひ、2匹に会いに来てください。2匹の写真日記は、こちらです。

https://www.instagram.com/n208hh/

5年目のうちの子記念日

28/01/2017 § 2件のコメント

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ピリッと寒く、深い霧の日が続きました。
芝生も、池も凍りつき、公園はほぼ貸切。 こんな日が、最近は大好きになりました。

以前は、寒い季節はあんなに苦手だったのに、人は、変わるし、慣れるものです。

今日は、ブロッサムを引き取って5年目の記念日。

あれから、もう5年。

たかが犬と言われるかもしれませんが、私にとっては、ブロッサムやピップは、私のロンドンでの居場所を作ってくれた、かけがえのない、何者にも変えられないバディーたちです。

一日も長く、元気に一緒に暮らせますように。

神様お願いします。

 

父のこと

16/01/2017 § 8件のコメント

年が明けて半月も経ってしまいました。

昨年、12月も押し詰まった21日に、父が他界し、前後、日本にひと月ほど、行っておりました。

享年80歳。

10年以上前に心臓手術の直後、脳梗塞を起こしてから、左半身の麻痺と、その麻痺した部分の視床痛と共に暮らした晩年でした。

聖人君子でも、訃報が新聞に載る人物でもなかったし、ささやかな人生だったかもしれないけれど、私にとっては、たった一人の父です。

小さい頃は可愛がってもらい、でも、途中、私が子供を持つまでは、距離がありました。が、晩年は、私の子供たちを可愛がってくれて、精神的にも、近づくことができたかな。

国際結婚して、ロンドンで暮らすことになった時、親の死に目には会えないかもと覚悟したものですが、今回、1週間半ほど、病院でベッドサイドに座り、一緒の時間を過ごすこともできたし、少しの時間でしたが、退院もできて、臨終にも立ち会えて、これ以上望むべくもありません。

でも、でも、やはり、さみしいものですね。

残された母が、とても心配です。

こうやって50年以上手を携えて、ともに、生きてきたのですから。

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なくなって以来、母に変わり、私は事務処理に追われましたが、帰国直前、携帯電話の解約の前に、ガラケーの中に入っていた、写真を取り出す作業をしました。

100枚ほど入っていた写真を一枚づつ、マイクロSDに移し、プリントしたのですが、うち90枚以上は、私の子供たちの様々な写真でした。それ以外は、母と見に行った桜の写真と、実家の犬の写真が申し訳程度に、数枚のみ。

カメラ屋さんの店頭で、そのデータをプリントしながら、涙がとまりませんでした。
葬儀の代わりのお別れの会には、ロンドンや、アイルランドから、あなたの可愛がったうちの子供たちも、全員駆けつけて、見送ってもらってよかったね。愛してもらったこと、ちゃんと伝わっていましたよ。でも、日本の葬儀を知らない外国暮らしの孫たちは、日本の習慣を知らなかったので、火葬後、骨が出てきた時、実はびっくりしすぎて、3人とも卒倒しそうになりながらも、なんとか収骨室で、お骨を拾ったのに、気づいたかな?

これからも、どこかから、私たち家族を見守ってください。お願いします。

たかが車、されど車

27/11/2016 § 1件のコメント

ドレッシングテーブルに座ると、窓から表の通りを走る車が見えます。

どんよりと暗い雲が垂れ込め、落ち葉が風に舞い、歩く人もほとんどいない日曜日の朝の住宅街。

そんな中、美しく磨かれたグレーの古いポルシェのスポーツカーが、排気音を残し、そこだけスポットライトを浴びたみたいに、走り抜けて行きました。

美しい車ですね。古い車の中には、美しく、ああ、乗ってみたい、と思う車があります。

古いモーガン、MG、ジャガー、ビートルカルマンギア、フィアット2CV、それぞれ個性豊かで、表情も豊か。大人になったら乗ってみたい、と思っていましたが、大人になっても、乗れるような身分にもなれず、きっと、いつまでも憧れに終わるのでしょう。

新しい車で、乗ってみたいという車が、本当にないのは、なぜ?

エアロダイナミックとかで、街乗りでは、トロトロ走るだけなのに、新しい車ときたら、表情は目がつり上がり、未来的(?)な顔つきで、私には、ちょっとみんな意地悪そうに見えて、触手が伸びません。

可愛いなと思う車も、例えば、BMWになってからの、ミニも、どんどんステロイドを摂取したように大きく、たくましくなって、とても、ミニと言えないようなたくましさになりつつあるし、フィアット500も、大きくなりつつありますね。

私は大学4年になって、初めて車の免許を取りましたが、大きな大きな私のマイルストーンでした。

自分が行きたいところへ、自分で行くことができる! 自分は自由だ!

と、叫びたいほどの嬉しさを感じたものです。

***

今、日本で、高齢者の方の事故が多く報道され、社会問題になっています。

オートマティックの車の、アクセルとブレーキの踏み間違いや、判断力の衰えが原因の一部のようです。確かに、高齢者から、免許を取り上げれば良い、と簡単に言ってしまう事もできますが、高齢だからこそ、車がなければ、動きが大きく制限される人が多いことも周知の事実。

私の父も、12年前に脳梗塞を患い、左手左足に、麻痺が残りました。幸い、左だったため、長いリハビリの後、オートマの車を運転することが可能になりました。

父の中で、行きたいところへ車で行くことのできる自由への欲望が、倒れた後の苦しいリハビリの大きな動機なったことは否定できません。そして、結果、母も、父が出かけている間、自由な時間を持つことができ、彼女の気持ちも楽になれたと言う部分もあります。

母は免許を持たないので、父が運転し、ナビシステムができたおかげで、高齢夫婦の二人は、脳梗塞の後でも、一緒に、ちょっとした遠出をできたりしたのです。

そんな人々も多くいるに違いない、高齢者と車。大変難しい問題です。

今回、日本一時帰国の際、帰国前日にしたことは、その父が乗っていた車で、父を介護施設まで迎えに行き、レストンに連れて行き昼食をとり、そのまま父を連れて、自宅に帰宅、夕食を自宅で共にして、夜、父を介護施設に送って行くことでした。食事がほとんど喉を通らない父が、この日だけは、よく食べたのであります。

そして、一人帰宅し、自宅の車庫に止め、車の中に入っていた、CDや、運転席の日よけ、ついている杖を引っ掛けるために設置してあったフックなど、私物をまとめ、紙袋に移し、最後に、カーナビの履歴を完全削除したのでした。

「完全に削除しますか」とナビさんが、確認のために2度ほど聞いてきました。

今まで、父と母が、この車で訪れた場所、孫を連れて行ったアンデルセン公園や、静岡の親戚宅、海辺のホテルの履歴や、自宅のポイントが、一瞬にして消えて行きました。

思い出せば、我が家に初めてやって来た車は、スバル360、毎週末、あちこちに連れて行ってもらいました。自家用車はまだ珍しく、誇らしかったな。そのあとの我が家の代々の車と、それに乗って訪れた旅行などを思い出し、しばらく運転席に座ったまま、私は動くことができませんでした。

しばらく座り込んだあと、車を降りて、ロックをかけると、1回ウインクして、降りてくる車庫の自動シャッターの後ろに、父の車はじっと佇んだまま、見えなくなっていきました。

車は、私たちがロンドンに戻った翌日、業者さんに引き取りに来てもらうことになっていたのです。

日本の母から帰宅したロンドンに届いた、短いメール。

「車夕方取りに来ました。なんとも言えない、寂しさです」

自由も、未来も、遠くなって、手が届かなくなることにとどめを刺された感じですね、と返信しました。母と、この件で、話をすることはなかったけれど、同じ思いだったに違いありません。

ちょうど一年前に、公園で転び、大腿骨を折って入院して以来、父は、大好きな車を運転することは2度とできませんでした。

最後に父が乗っていたのは、トヨタのごく普通のカローラ。10年近く乗って、走行距離、27000キロ。

それでも、父には、自由の翼でした。