春なのに

27/03/2017 § 5件のコメント

ずっと更新が滞ってしまいました。

春が来て、そこかしこに水仙が咲き、目がさめるような柳の新緑に見惚れて、庭のチューリップまで、色づいて来て、ロンドンでは、テロも起きたりして、でも、毎日、変わらず過ごして、普通のふりをして暮らしています。それなのに、どうも自分の気持ちが落ち着かず、地面に足がつかず、どうも、ふわふわ。

IMG_8959

父が、いなくなってしまったことが、心の奥の側面に、頑固な鍋の焦げ付きのように張り付き、自分自身で、戸惑っています。

亡くした直後より、今の方が、キツイ気が。

桜を見て、杖をついた人を見て、落花生を食べて、いちごの、あまおうのニュースを見て、その度に、もう2度と、父はこの花や、大好物をたべられないのだな、最後に食べたがったのは、あまおう、だったなぁ、などと考えてしまい。。

先週、父が生前、公証役場に預けてあった、遺言書が開示されました。

内容はすでに本人から、口頭で、とりあえず、全部、ママにゆずるからな〜、と、聞いておりました。が、国際郵便で、コピーが、執行人から送られて来ました。

遺言の本文の後に、(付言事項)というコラムがありました。

そこには、

「私は、妻と永年苦楽を共にし、幸福な家庭を築いてこれたことを大変誇りに思っています。子供達も立派に成長し、それぞれの家庭を築き上げてくれたうえ、可愛い孫たちにも恵まれ、実に充実した人生でした。私は人生を共に歩み、私が倒れた後も懸命に世話をしてくれた妻の生活を第一に考え全財産を妻に全て相続させることにしました。妻のおかげで本当にいい人生だったことを心から感謝しています。共に生活している長男には、、いつまでもお母さんが心安らかに生活できる様お願いします。(弟)も、(私)も、私の自慢の子供達です。それぞれが、それぞれの立場や環境の中で堂々と人生を歩んでいけると信じています。これからもお母さんの面倒をよく見、自分たちの生活もしっかり築き上げながら幸せな人生を送ってください。 以上 」

人生の最後に。母への大ラブレター+私たちへの応援ですね。これには、ちょっとやられたな。

父は、尊厳死にも、自筆の捺印された書面を残していました。病気その他、回復の見込みがないと判断された場合は、延命処置等、することなく永眠させる様に申し渡します。と書いていました。

そう書かれていて、頭でわかっていて、結果的に希望どうりになった、と言えるけれども、残されたものは、どうあっても、たら、ればと、悶々とするのでしょう。

今日、毎週月曜の脳卒中の患者さんのための、犬を使ったリハビリのボランティアに、ぶうちゃんと出かけ、新しくいらした患者さんにお会いしました。その方の後遺症は、父の脳梗塞の後遺症と、とても似た症状で、左足を引きずって、左手を庇いながら歩く姿が重なり、本当にセッションの途中で、突然、思わず、スイッチが入ってしまい、危うく泣き出しそうになり、トイレに逃げ込んだのでした。

俺は、今年いっぱいの命だ、と自分で言っていて、その予想は大当たりでしたが、昨年11月、大好きな相撲を見て、(それ以降、大好きなテレビも見る体力もなくなった)「稀勢の里は、きっと横綱にはなれないな〜」という予想は、大外れでしたよ。

さっき、ニュースで、相撲の結果を見て、またまた、スイッチが。。

2匹のワンズ、ピップとブロッサムによく、父の話を聞いてもらっています。

二人とも、じーっと話を聞いてくれて、たまに、ぺろっと舐めてくれます。

本当に、ありがたい。

悲しみのスイッチに触れないように注意しつつ、ふわふわしながら、日々暮らしていても、私には、忘れずに、花粉症がやってきました。

さて、顔あげて、元気だそう! 私!

 

 

5年目のうちの子記念日

28/01/2017 § 2件のコメント

img_8356

ピリッと寒く、深い霧の日が続きました。
芝生も、池も凍りつき、公園はほぼ貸切。 こんな日が、最近は大好きになりました。

以前は、寒い季節はあんなに苦手だったのに、人は、変わるし、慣れるものです。

今日は、ブロッサムを引き取って5年目の記念日。

あれから、もう5年。

たかが犬と言われるかもしれませんが、私にとっては、ブロッサムやピップは、私のロンドンでの居場所を作ってくれた、かけがえのない、何者にも変えられないバディーたちです。

一日も長く、元気に一緒に暮らせますように。

神様お願いします。

 

父のこと

16/01/2017 § 8件のコメント

年が明けて半月も経ってしまいました。

昨年、12月も押し詰まった21日に、父が他界し、前後、日本にひと月ほど、行っておりました。

享年80歳。

10年以上前に心臓手術の直後、脳梗塞を起こしてから、左半身の麻痺と、その麻痺した部分の視床痛と共に暮らした晩年でした。

聖人君子でも、訃報が新聞に載る人物でもなかったし、ささやかな人生だったかもしれないけれど、私にとっては、たった一人の父です。

小さい頃は可愛がってもらい、でも、途中、私が子供を持つまでは、距離がありました。が、晩年は、私の子供たちを可愛がってくれて、精神的にも、近づくことができたかな。

国際結婚して、ロンドンで暮らすことになった時、親の死に目には会えないかもと覚悟したものですが、今回、1週間半ほど、病院でベッドサイドに座り、一緒の時間を過ごすこともできたし、少しの時間でしたが、退院もできて、臨終にも立ち会えて、これ以上望むべくもありません。

でも、でも、やはり、さみしいものですね。

残された母が、とても心配です。

こうやって50年以上手を携えて、ともに、生きてきたのですから。

fullsizeoutput_140f

なくなって以来、母に変わり、私は事務処理に追われましたが、帰国直前、携帯電話の解約の前に、ガラケーの中に入っていた、写真を取り出す作業をしました。

100枚ほど入っていた写真を一枚づつ、マイクロSDに移し、プリントしたのですが、うち90枚以上は、私の子供たちの様々な写真でした。それ以外は、母と見に行った桜の写真と、実家の犬の写真が申し訳程度に、数枚のみ。

カメラ屋さんの店頭で、そのデータをプリントしながら、涙がとまりませんでした。
葬儀の代わりのお別れの会には、ロンドンや、アイルランドから、あなたの可愛がったうちの子供たちも、全員駆けつけて、見送ってもらってよかったね。愛してもらったこと、ちゃんと伝わっていましたよ。でも、日本の葬儀を知らない外国暮らしの孫たちは、日本の習慣を知らなかったので、火葬後、骨が出てきた時、実はびっくりしすぎて、3人とも卒倒しそうになりながらも、なんとか収骨室で、お骨を拾ったのに、気づいたかな?

これからも、どこかから、私たち家族を見守ってください。お願いします。

たかが車、されど車

27/11/2016 § 1件のコメント

ドレッシングテーブルに座ると、窓から表の通りを走る車が見えます。

どんよりと暗い雲が垂れ込め、落ち葉が風に舞い、歩く人もほとんどいない日曜日の朝の住宅街。

そんな中、美しく磨かれたグレーの古いポルシェのスポーツカーが、排気音を残し、そこだけスポットライトを浴びたみたいに、走り抜けて行きました。

美しい車ですね。古い車の中には、美しく、ああ、乗ってみたい、と思う車があります。

古いモーガン、MG、ジャガー、ビートルカルマンギア、フィアット2CV、それぞれ個性豊かで、表情も豊か。大人になったら乗ってみたい、と思っていましたが、大人になっても、乗れるような身分にもなれず、きっと、いつまでも憧れに終わるのでしょう。

新しい車で、乗ってみたいという車が、本当にないのは、なぜ?

エアロダイナミックとかで、街乗りでは、トロトロ走るだけなのに、新しい車ときたら、表情は目がつり上がり、未来的(?)な顔つきで、私には、ちょっとみんな意地悪そうに見えて、触手が伸びません。

可愛いなと思う車も、例えば、BMWになってからの、ミニも、どんどんステロイドを摂取したように大きく、たくましくなって、とても、ミニと言えないようなたくましさになりつつあるし、フィアット500も、大きくなりつつありますね。

私は大学4年になって、初めて車の免許を取りましたが、大きな大きな私のマイルストーンでした。

自分が行きたいところへ、自分で行くことができる! 自分は自由だ!

と、叫びたいほどの嬉しさを感じたものです。

***

今、日本で、高齢者の方の事故が多く報道され、社会問題になっています。

オートマティックの車の、アクセルとブレーキの踏み間違いや、判断力の衰えが原因の一部のようです。確かに、高齢者から、免許を取り上げれば良い、と簡単に言ってしまう事もできますが、高齢だからこそ、車がなければ、動きが大きく制限される人が多いことも周知の事実。

私の父も、12年前に脳梗塞を患い、左手左足に、麻痺が残りました。幸い、左だったため、長いリハビリの後、オートマの車を運転することが可能になりました。

父の中で、行きたいところへ車で行くことのできる自由への欲望が、倒れた後の苦しいリハビリの大きな動機なったことは否定できません。そして、結果、母も、父が出かけている間、自由な時間を持つことができ、彼女の気持ちも楽になれたと言う部分もあります。

母は免許を持たないので、父が運転し、ナビシステムができたおかげで、高齢夫婦の二人は、脳梗塞の後でも、一緒に、ちょっとした遠出をできたりしたのです。

そんな人々も多くいるに違いない、高齢者と車。大変難しい問題です。

今回、日本一時帰国の際、帰国前日にしたことは、その父が乗っていた車で、父を介護施設まで迎えに行き、レストンに連れて行き昼食をとり、そのまま父を連れて、自宅に帰宅、夕食を自宅で共にして、夜、父を介護施設に送って行くことでした。食事がほとんど喉を通らない父が、この日だけは、よく食べたのであります。

そして、一人帰宅し、自宅の車庫に止め、車の中に入っていた、CDや、運転席の日よけ、ついている杖を引っ掛けるために設置してあったフックなど、私物をまとめ、紙袋に移し、最後に、カーナビの履歴を完全削除したのでした。

「完全に削除しますか」とナビさんが、確認のために2度ほど聞いてきました。

今まで、父と母が、この車で訪れた場所、孫を連れて行ったアンデルセン公園や、静岡の親戚宅、海辺のホテルの履歴や、自宅のポイントが、一瞬にして消えて行きました。

思い出せば、我が家に初めてやって来た車は、スバル360、毎週末、あちこちに連れて行ってもらいました。自家用車はまだ珍しく、誇らしかったな。そのあとの我が家の代々の車と、それに乗って訪れた旅行などを思い出し、しばらく運転席に座ったまま、私は動くことができませんでした。

しばらく座り込んだあと、車を降りて、ロックをかけると、1回ウインクして、降りてくる車庫の自動シャッターの後ろに、父の車はじっと佇んだまま、見えなくなっていきました。

車は、私たちがロンドンに戻った翌日、業者さんに引き取りに来てもらうことになっていたのです。

日本の母から帰宅したロンドンに届いた、短いメール。

「車夕方取りに来ました。なんとも言えない、寂しさです」

自由も、未来も、遠くなって、手が届かなくなることにとどめを刺された感じですね、と返信しました。母と、この件で、話をすることはなかったけれど、同じ思いだったに違いありません。

ちょうど一年前に、公園で転び、大腿骨を折って入院して以来、父は、大好きな車を運転することは2度とできませんでした。

最後に父が乗っていたのは、トヨタのごく普通のカローラ。10年近く乗って、走行距離、27000キロ。

それでも、父には、自由の翼でした。

 

 

 

ぼちぼち

23/11/2016 § コメントする

日本に一時帰国をしておりました。
今回はオットと一緒だったので、なかなか思うように動けず、でも、彼の引退後、日本で暮らすという可能性があるのか?などと探ってみよう、という気持ちも持地ながら、そういう目で今回は、過ごしました。

犬を連れて帰る、となると、東京に住むのは難しい?ならどこに住むべきか? どんなライフスタイルが 待っているのか? などなど。

私の父も、日に日に弱っているので、もちろん顔を見たかったし、前回2回の帰国では、父の不調で、友人たちに会うこともなかなか叶わなかったので、今回は、、と思った部分もありました。

楽しい時間はあっという間に終わり、大荷物と帰国。

すぐに、No1こと、長女が、仕事を辞め、海外に引っ越すためのお手伝い。

オットは、引越し荷物運びで、無理して、腰を痛め、私は、出て行った部屋の片付けと、お掃除をしてホッとしたのもつかの間、日本から、父が肺炎になり、入院したと連絡が入りました。

遠くにいると、すぐに駆けつけるわけにもいかず、こんな時、ドラえもんの、「どこでもドア」があれば、と切に願うものの、そういうわけにもいかず。悶々と、空を見上げる日々です。

ただ、わんこさんたちは、元気にしてくれています。2匹には、私の、いろいろ話を聞いてもらって励ましてもらっています。

二人の日々の様子は、こちらから。。

https://www.instagram.com/n208hh/

先代犬、ポピーがお空組になってから、20日で、5年。

ロンドンの季節は、また一つ進み、ふゆがやってきました。

また、ぼちぼちと更新していこうと思います。

 

 

棚から、おしごと

26/10/2016 § 4件のコメント

img_7417

すごい勢いで、葉っぱが落ち始めました。

今週末には、夏時間も終わり、時計が一時間動きます。もう直ぐ11月ですものね。

img_7425

手前にブロッサムが座っているのですが、夜寝る前の、トイレタイム。誰かさんは、寒いから行きたくないと、ドアの手前で頑張っております。贅沢者〜!私も外に出ているのに、、ね。1年前くらいから、夜はクレートに入っていただかないと、あちこちにおしっこするようになってしまったピップくん。お年頃だから仕方ないのかな?

***

先週、突然息子の就職が決まりました。

イギリスの大学は日本と全く違い、就職の情報などを集めるくらいのお手伝いはしてもらえますが、全面的にバックアップしてくれる日本とはだいぶ違います。新卒が、一番価値の低いとこの国では、大学在学中の夏休みに就労体験などはしますが、学期中に就職活動など皆無、勉強に忙しくて、そんなことをしている暇はありません。

国が違う、と言えばそれまですが、卒業しても何年も、やりたいことを探して、紆余曲折する人も多く、例えば有名大学を卒業したから、いい就職が決まる、などという観念もなく、第一、大企業にはいれば、それで人生安泰や、それがいちばんなどという価値観もありません。

とは言え、卒業以来、おしゃれな果物屋さんで週3回アルバイトをして、就活などしている様子の全くない、息子。見ていると胃がキリキリと痛むのも、事実でして。

卒業式から1年間は、家に置いてやる、けれどそれ以降は一人で生きていってください、と言い渡しておりました。

が、先週火曜日、朝、私が出てかけて行くときは、まだ寝ていた息子が、帰宅したら、家にいなくて、帰ってくるなり、いきなり、就職決まったよ。というではありませんか。

その2日前、友人の弟の12歳の誕生日パーティーのお手伝いに行ったとき、誤ってトランポリンから落ちて、脳震盪を起こした子が出たり、救急車を呼んだり、それ以外にも色々あったんだ、などと聞いていましたが、そのパーティーに来ていたゲストの男の子の、お父さんが、彼のそのパーティーでの働きをまじかに見ていて、翌月曜日にパーティー主催の友人のお母様に、連絡して来て、彼は何をしている誰ですか?と電話番号を聞かれたそうです。

火曜日朝、11時頃、彼に直接電話があり、我が社で、働かないか?と言われ、興味がある、と答えると、じゃあ、今日に、3時半面接に来て、と言われ、慌てて出かけ、その場で、採用の内定をもらったそうです。

就活もしていない、朝もずっと寝てたのに、なんでいきなり?と狐につままれた私ですが、本人がやりたい仕事で、使ってもらえて、好条件。まあ、なんと、めでたいことで。。

人生、何が、どう転ぶか、本当にわからないものです。

ムスメの退社とはほぼ入れ替わりに、さっそく11月から働き始めるそうです。

息子は、今まで本当に色々ありました。悪事を働くわけではありませんでしたが、いつまでも考えが甘く、全てテキトー。先日、日本で起こった、16歳の息子を刺し殺して、自殺したお母さんのことを、人ごととは思えない、と思えるほど、私自身が、彼に対して、追い詰められた日々もありました。

でも、なんとか、自立して、自分を養ってくれたら、それ以上、多くを望みません。心底ホッ。で、今度は長続きしますように、と祈るばかりです。

オットと、これで、スーツを買いなさいと、少しばかりのお金を渡し、よかったねえ、としみじみ顔を見あったのでした。

Your Name 「君の名は。」

20/10/2016 § コメントする

img_7301

今月、5−16まで、ロンドンフィルムフェスティバル、という映画祭が行われておりました。毎年開かれている、映画祭で、毎年何本かの日本の映画が招待されており、見たいと思った映画が2本ありました。

一本は、是枝監督の、「海よりもまだ深く」、

そして、もう一本は、新海誠監督の、「君の名は。」

見てまいりました。

是枝監督は、歩いても歩いても、や、海街ダイアリーなど、好きだなあ、とファンなので、最新作も期待。相変わらずの大きな事件は起こらないけれど、家族の描写に、俳優陣の素晴らしさに、満足。

そして、日本でも、多くの人に支持されている、「君の名は。」は、私は普段あまり見ないアニメーションの映画で、ロンドンのこの映画祭でも、アニメーションとしては、初めて招待された作品だそうです。

img_7304

オットを誘ったのですが、海よりも、は、平日の昼間の会しかチケットが残っておらず、断念、君の名は、は、アニメーションなんだけれど、というと、僕はいいかな〜と、あまり乗り気でなく。一人で映画、行くもんねー。

会場が暗くなり、オープニングの、短いCMがかかり、、映画が始まる、と思ったら、いきなり会場が、パーっと明るくなり、女性が登場、マイクを持って話し始めたと思ったら、新海監督が、舞台袖から登壇! 観客からどよめきが起こりました。舞台挨拶など知らされておりませんでしたので。

喜怒哀楽の全ての感情を含んだ、見たあと明るい気持ちになれる映画を作りたかった、ロンドンには、9年くらい前1年近く住んでいたので、懐かしさもあり、こんな形で戻ってこれて嬉しい、などお話しされておりました。

映画は、皆さんと同じに、大変満足。

始まりの第一シーンから、終わりまで、文字どおり、現実からすっかりと抜け出して、映画の世界にどっぷりはまり込んだ約2時間、映画以外は何も一切考えず、感じず、その世界に身を委ねる快感を久しぶりに味わいました。

映画が終わると、大拍手、そして、普通、映画終了と同時に、どんどん退場していくロンドンの観客、エンドロールが、終わっても7割以上の人が席に残っており、エンドロールの最後が終わると、座ったまま、また拍手。会場が明るくなって、皆さんのろのろと腰を上げたのでした。

日本人と見られる方は、1割くらいしかいない会場で、この反応、なんだか、同胞として、ウレシクなったのでした。

 

 

Where Am I?

London徒然草飼い主ネタ カテゴリーを表示中です。