春なのに

27/03/2017 § 6件のコメント

ずっと更新が滞ってしまいました。

春が来て、そこかしこに水仙が咲き、目がさめるような柳の新緑に見惚れて、庭のチューリップまで、色づいて来て、ロンドンでは、テロも起きたりして、でも、毎日、変わらず過ごして、普通のふりをして暮らしています。それなのに、どうも自分の気持ちが落ち着かず、地面に足がつかず、どうも、ふわふわ。

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父が、いなくなってしまったことが、心の奥の側面に、頑固な鍋の焦げ付きのように張り付き、自分自身で、戸惑っています。

亡くした直後より、今の方が、キツイ気が。

桜を見て、杖をついた人を見て、落花生を食べて、いちごの、あまおうのニュースを見て、その度に、もう2度と、父はこの花や、大好物をたべられないのだな、最後に食べたがったのは、あまおう、だったなぁ、などと考えてしまい。。

先週、父が生前、公証役場に預けてあった、遺言書が開示されました。

内容はすでに本人から、口頭で、とりあえず、全部、ママにゆずるからな〜、と、聞いておりました。が、国際郵便で、コピーが、執行人から送られて来ました。

遺言の本文の後に、(付言事項)というコラムがありました。

そこには、

「私は、妻と永年苦楽を共にし、幸福な家庭を築いてこれたことを大変誇りに思っています。子供達も立派に成長し、それぞれの家庭を築き上げてくれたうえ、可愛い孫たちにも恵まれ、実に充実した人生でした。私は人生を共に歩み、私が倒れた後も懸命に世話をしてくれた妻の生活を第一に考え全財産を妻に全て相続させることにしました。妻のおかげで本当にいい人生だったことを心から感謝しています。共に生活している長男には、、いつまでもお母さんが心安らかに生活できる様お願いします。(弟)も、(私)も、私の自慢の子供達です。それぞれが、それぞれの立場や環境の中で堂々と人生を歩んでいけると信じています。これからもお母さんの面倒をよく見、自分たちの生活もしっかり築き上げながら幸せな人生を送ってください。 以上 」

人生の最後に。母への大ラブレター+私たちへの応援ですね。これには、ちょっとやられたな。

父は、尊厳死にも、自筆の捺印された書面を残していました。病気その他、回復の見込みがないと判断された場合は、延命処置等、することなく永眠させる様に申し渡します。と書いていました。

そう書かれていて、頭でわかっていて、結果的に希望どうりになった、と言えるけれども、残されたものは、どうあっても、たら、ればと、悶々とするのでしょう。

今日、毎週月曜の脳卒中の患者さんのための、犬を使ったリハビリのボランティアに、ぶうちゃんと出かけ、新しくいらした患者さんにお会いしました。その方の後遺症は、父の脳梗塞の後遺症と、とても似た症状で、左足を引きずって、左手を庇いながら歩く姿が重なり、本当にセッションの途中で、突然、思わず、スイッチが入ってしまい、危うく泣き出しそうになり、トイレに逃げ込んだのでした。

俺は、今年いっぱいの命だ、と自分で言っていて、その予想は大当たりでしたが、昨年11月、大好きな相撲を見て、(それ以降、大好きなテレビも見る体力もなくなった)「稀勢の里は、きっと横綱にはなれないな〜」という予想は、大外れでしたよ。

さっき、ニュースで、相撲の結果を見て、またまた、スイッチが。。

2匹のワンズ、ピップとブロッサムによく、父の話を聞いてもらっています。

二人とも、じーっと話を聞いてくれて、たまに、ぺろっと舐めてくれます。

本当に、ありがたい。

悲しみのスイッチに触れないように注意しつつ、ふわふわしながら、日々暮らしていても、私には、忘れずに、花粉症がやってきました。

さて、顔あげて、元気だそう! 私!

 

 

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§春なのに」への6件のフィードバック

  • てまり より:

    ばくさん、こんばんは。日本は今、深夜前です。
    お父様の御冥福をお祈りいたします。
    文章が拙いので、いつも読み逃げてました。すみません。
    お父様を亡くされた哀しみは、私も父を亡くして丸2年経ってもアレヤコレヤ考えてしまいます。手を合わせて語りかけるしかないのですが。

    こうして、更新してくださったことで、私も元気が出ます。
    また、読み逃げ(笑)してしまいますが、拝読できることを楽しみにしてます。

    • ばく より:

      てまりさま、ありがとうございます。コメント残してくださって、勇気付けられました。そして、私の方こそ、元気をいただきました。ぼちぼちですが、更新続けます。また、いらしてください。

  • まいま より:

    すごく良くわかります。。
    母とは生前もほんとに会話もあったし・・お互い助け合いながらきたところもあって・・亡くなったのは悲しいが
    父とのそれとはまた違っている。。

    父を亡くして今年で17回忌・・父に似た方を見ると・・こみ上げてくるものがあります。。
    随分薄れたところはありますが。。
    あまり話することもなく・・寡黙な人であった。。
    何が好きだったのか・・若い頃は何を夢見ていたのか
    分からないことだらけです。。

    お父様のご冥福心よりお祈り申し上げます。。

    • ばく より:

      まいまさん、17年経ってもこみ上げるのですね。。週末、大掃除をしていて、父から、オットに当てて、送ってきた、花の種の入ったバースデーカードがガレージから出てきて、もう16年も前の手紙でしたが、達筆だった父の、懐かしい手書きの文字を見て、また、涙涙でした。薄紙をはがすように、思いは、本当に少しづつ薄れていくのでしょうね。

      肉親だからこそ、わからないことって、あるのかもしれません。あえて、語り合いませんので。

  • 平岡 久範 より:

    Instagramでコメントをして頂きましたtake_osakaです。私の母は一昨年の6月にステージ4の膵臓癌が見つかり延命処置をしなければ余命3ヶ月と宣告され抗がん剤治療、放射線治療を行い1年の命を頂きましたが昨年の5月に83歳で霊界へと旅立ちました。車を運転しない父親は通院の為に母親をタクシーや電車を乗り継ぎ数時間かけ病院に連れて行き、亡くなる前の3ヶ月間は毎日病院に新鮮な果物や母親にリクエストを聞いた食べ物を持参し見舞いに行ってくれてました。私も会社の理解があり出張以外は毎日見舞いに行っておりました。母親は1日でも多く生きたかっので必死で治療をし、のどを通らない食べ物を頑張り摂取しておりました。最期の最期まで弱音を吐かなかった母親の強さには敬服いたします。本人の意向もあり治療を行ってきましたが母親の死を目の当たりにし私が余命宣告を受けた際には貴女の親御さまの様に潔く死を受け入れられたらと思います。素晴らしく、かっこいいお父様ですね。

    • ばく より:

      インスタではお世話になっております。返事も遅れまして申し訳ありません。10年近く続けてきたブログもしばらく放置しておりました。
      お母様、頑張られたのですね。私の母も、結局1年間、自転車で、毎日病院通いと、施設への訪問を続け、一回り小さくなってしまいました。父も最後は約2ヶ月食べ物はほとんど取れず、でも、経管栄養や胃ろうなどは、拒否で、最後は血液検査も拒否でした。急変した時も、救急車は呼んでくれるな、と徹底しておりました。人間には宿命と寿命というのがあるのだから、と。葬儀も、宗教なし、お坊さんなし、戒名なし。香典も辞退、お花も辞退と、母も徹底していました。私もそこまでできるか、自信はありませんが、潔い最後を見せてもらったと、思っています。
      最後になりましたが、お母様のご冥福をお祈りいたします。

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